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わたしはわたしを肯定する

周りより劣ってたとしても、

残念な自分がいたとしても、

そんな自分でもいいと許す。


それでも大丈夫って認める。

こんばんは、ひきこもり
不登校・ニート・家庭内暴力
自立支援施設 粋塾新潟校のライスです。

今日は、
人は人、自分は自分、
という感じで、

どんな風に意識を集中すれば、
喜べる状態になりやすいか?
という話をしたいと思います。

今日は午前中に体育館へいき、
バドミントンをしてきました。

そして、バドミントンのコートについたら、
隣のコートに2人組みの先客がいて、
バドミントンの特訓をしていました。

高校生らしき人が走って、飛んで、鋭く打つ。
ガチな競技として、ハイレベルなプレイで、
すごいハードな練習をしていました。

ジャンプとか足を踏み込む度に
体育館が激しく揺れていました(笑)

その光景を見ながら、
バドミントンを始めようとした時、

「うわ~。これと比べたら、
自分のレベルなんて
ママゴトでしかなくて、恥ずかしい」


「となりでやるのとかすごい気まずい」


「バカみたいって思われてないかな?」

そんな風に思って、
いつもみたいにやることに
とても抵抗を感じました。

しかし、わたしは思い直しました。

競争したり、優劣つけるためにやるわけじゃない。
体を動かす、たのしむ、良い人間関係を築くなど、

人間としての成長につなげていく。
そういう目的のためにやっているのだ。

そう意識することで、
周りのことはどうでもよくなり、
いつも通りにたのしむことができました。

人間の生存本能として、
比較評価したり、優劣の判断するのは
とても自然なことです。

そうしないと人類は
生き残ってこれなかったから、
遺伝子レベルでそうなってると思います。

比較すること自体は悪くありませんし、
成長するためには必要なことです。

しかし、比較して、自分を責めて、
落ち込み、動きが鈍るようでは、
本末が転倒してるというものです。

劣っていたとしても、
それでダメというわけでもないし、
価値がなくなるものでもない。

もし、優れていることにしか
価値がないというなら、

機械の前で、オンラインの中で、人は等しく、
無価値な存在に成り果ててしまいます。

じゃぁ、どこに意識を
もっていけばいいかというと

自分達の、人としてのあり方
生き様・価値観・目的
など

自分達が喜びを感じる物事を明確にし、
日頃思い出して、大切にして生きること。

自分達の目的に役立つかを基準にする。
ではないかと思います。

そうすることで、
不毛な競争や、無益な闘争から
降りることができるように思います。

人と比べて、成長する材料見つけるのは
役に立つけど、

自分や人を責めたりしても、
なにも益はないですよね。

悩みはできるだけ細かく分別して
最小限で対処する。

その浮いた分のエネルギーや時間を
喜べることに使うほうが人生たのしめる。

周りと比べても、常識的にみても、劣るし、
失敗ばかりで、ダメダメで、残念な自分だけど、

「わたしはわたしを肯定する」

わたしはいつも、
そう自分に言葉がけをしています。

そういう習慣にすることで、
物事の良い面を見やすくなります。

そして、建設的な行動がしやすくなり、
肯定的に思える結果にもつながります。
より、物事の良い面を見られるようになります。

そんな風に好循環ができたりしますし、
それまでの悪循環を断つこともできます。

簡単で、なんてことはない方法だから、
軽く見て、逆にやってない人も
多いような気がします。

始めはあんまり違いがわかりませんが、
半年・1年と続けていく内に、
ようやく効果が分かるようになりました。

そういうなんでもなく思える
小さなことの積み重ねですが、

日々意識して大切にして、
身につけていきたいと思います。

今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

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