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名づけられた葉

人は割り振られた役割を

演じ続けようとする

こんばんは
ひきこもり・不登校・ニート・家庭内暴力
自立支援施設 粋塾新潟校のライスです。

わたしはいま、
基本的に本名をつかっていません。

公共的なものや家族や親戚以外なら
基本あだ名で通します。

ある意味、社会という名の芸能界で
活動するための芸名みたいなものかもしれません。

ライスというあだ名をつけられたのは、
とある自立支援施設にいったときで、

「12年間ひきこもって働かなかったけど、
米づくりの手伝いだけはしていたから」
という理由でつけられました。

その後施設で、活発にいろんな活動をし、
働くようになってからもライスと呼ばれています。

そういう経験をすることで
ある種の刷り込みというか、
名前にそういう役割ができたように思います。

イメージの問題だと思うのですが、
ライス=社会活動・貢献活動をする人。

というイメージが自分の中であります。
呼ばれ方はなんでもいいのですが、
あだ名や通称で呼ばれる方がいいです。

本名=なまけもの、頭おかしい、ダメな人
という感じでネガティブイメージがあるので、
身内以外に呼ばれると違和感があります。

ある意味、名前の呼ばれ方を変えることで
自分の役割やイメージを変えているのかもしれません。

また、一種の言い訳というか
本名ではないという壁をつくることで、

ココロの安全基地をつくることで安心でき、
活動や行動がしやすくなるのかもしれません。

今でも、施設で大変お世話になった方々、
あだ名をつけてくれた方にもとても感謝してます。

特定の役割やイメージに縛られていると、
なかなかその中から抜け出せません。

そこから抜け出して変わっていくには
今まで当たり前にしてたことをやめてみる。

そういう方法もあるのだなーって思いました。

まぁ、人間として強ければ、
どういう形だってなんとかしていけるので、
やはり本人次第のところはあります。

しかしながら、弱いダメ人間ながらでも、
より好ましい自分になりやすい方法や
環境というのもある
のも事実です。

自分や身近な人・大切に思う人が、
どういう状況でどんな手段を用いたらより、
本人目線で好ましい自分になっていけるか?

そういうことを大切にしながら、
考えるだけでなくたくさん試し、
恥をかきながら、たくさん間違える中から、

自分たちにとっての良い方法を見つけて、
身につけていけたらと思います。

死ぬ前に1回ぐらい、「職業は自分です」
なんてことを胸を張っていってみたいです。

今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

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